歴史由来

杉田玄白の遠祖の寺

由来

写真:法林山

小田原北条氏の家臣であった間宮長安は杉田玄白の遠祖で、過去帳によると武蔵国久良岐郡杉田郷(横浜市磯子区)に生まれているとあります。永禄2(1559)年の『小田原衆所領帳』には、杉田郷の領主は間宮豊前守とあり、その間宮一族であった長安は、下菅生村に転じたあと杉田姓に改めてこの寺の再興に尽くしたそうです。慶長17(1612)年11月28日に90歳で没し、境内にある墓石には法名の法林院釈氏浄安の文字が刻まれている。江戸時代に入ってから、この長安の法名をとって山号を法林山としたそうです。

【杉田玄白 間宮氏 「玉川紀行」より】

わが国オランダ医学の始祖、杉田玄白の先祖にあたる間宮主水次郎長安(1524-1612)は武蔵国久良岐郡杉田村(現在の横浜市磯子区杉田町)の生まれである。
小田原の北条氏康につかえて度々の合戦に勲功をあげていたが、後北条氏滅亡の後は諸国を転々としたのち、文禄3年(1594)に旧領の杉田村にかえりすんで、このころ姓を杉田氏と改めた。
その後、橘樹郡稲毛領にうつり、慶長17年(1612)に89歳の高齢でこの地において没した。生前一寺をひらいて、自らの名を冠して法林山長安寺とし、没後この寺に葬られた。
杉田長安の孫忠安には二児があり、長子は伝左衛門といい、その後 はこの地において連綿としてさかえている。
一方次子の東は甫仙(初代)と名のって医師となり、故郷をはなれて江戸にでた。この甫仙こそ玄白の祖父にあたる。
玄白の孫にあたる成卿(玄白の子立卿の子)は、オランダ語に堪能な眼科医であった。
その成卿が安政4年(1857)7月に長安寺に参詣したおりのオランダ語紀行文「玉川紀行」が今につたえられている。

溝の口村を過ぎて蔵敷村まで行くと、景色はまた、別となる。 変化する丘と谷の具合は、深く入った山の景色を想わせるものがある。・・・ かも降りはじめた雨のなかを、長安寺についたのは凡そ十時頃であった。
その後の高い 林の陰に深く苔むした石の墓が立っていた。それが曽って私の父から聞いていた遠祖の墓である。
※(緒方富雄訳による)

写真:長安の墓
成卿が「遠祖の墓」とよんだ長安の墓は、本堂の裏手にある墓地の一隅にたっている。正面には「法林院殿釈浄安大比丘」の法名が刻まれており、左側面には「杉田生 俗名 杉田門殿次郎長安」と刻されている。

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